ひと昔か、ふた昔くらい前、日本では、怪しい営業会社では、売上を作る為という名のもと、激しいパワハラが横行していた。
頭の中が何世代か前のままのボスである営業会社なら、未だに横行しているかもしれないパワハラ。
それは、自我を捨てて、何かになりきるというパワハラだった。
例えば、家をピンポンして歩きまわる営業は、普通の常識を持っていたら、なかなかやりきれない。
まず、知らない人の家のピンポンを押すのに躊躇する。
ピンポンを押せたとしよう。
「私、株式会社◯◯の◯◯と申しますが、この地域の担当になりまして、ご挨拶に回らせて頂いています」
と、初めて会った人に失礼の無い様に、かしこまったご挨拶をするのが、常識と思ったりする。
でも、ザンネンながら、この常識的な人は売れない。
家の人に
「何の営業かは知りませんが、必要ないので、要りません」
とインターホンを切られる作業を延々と繰り返して、いつか心が折れる時を待つ感じになる。
家の人にドアを開けてもらう事も無く、ただ心が削られていく。
否定される事を繰り返すので、なんだか悪い事をしている気分にさえなってくる。
だから、時間の問題で辞める時がやってくるわけだ。
そんな風に、営業マンの心が折れて辞めていく事は、営業会社の幹部は百も承知。
だから、ピンポンを押した家のドアを開けさせ、会話に持っていく方法を営業マンに伝授する。
ピンポン🎵
「はーい」
「あっ、すいません。
外に洗濯物みたいな物が落ちていまして、もしかしたらお宅のかと思いまして…」
「あっ… ちょっとお待ちくださいね」
とドアが開く。
「こんにちは。
実は、この辺りの担当になって、挨拶回りで歩いていたんですけど、コレ落ちてたんですけど違いますか? 」
と自分のタオルを見せる。
「あっ違いますか。そうですか。あちらの町内会の方に、この辺りを挨拶するように言われまして… ちょうど良い機会なので、ご挨拶だけよろしいですか?」
なんて感じで、たくさんのウソを織り交ぜながら、営業をしなさいと営業マンを教育する。
たしかに正攻法よりも、話しが出来る確率が格段にに上がる。
話しが出来れば、成果を上げる確率が格段に増える。
だけども大事なところがすっ飛ばされている。
人は皆、ウソはついてはいけないと教育されている。
ウソは方便とも言うけど、数字(売上)を作る為に、ウソを強要されている。
ウソをつくのは、誰だって心が痛い。
だから、自分じゃない、何かになりきりなさいと営業会社は教える。
ウソをつくのは、自分じゃなくて、自分が演じているキャラだという理屈。
あなたの趣味で営業をしているわけでは無く、仕事で営業をしているのだから、あなたの素のままで話しをする必要なんて無い。
お客さんと話している何分かだけは、まるで優秀な営業マンを演じている様に、クチ八丁な調子のいい人間えお演じれば良いと教えられる。
そして、その練習として、皆が見ている前で、歌えと言われれば歌手になったツモリで歌わされる。
踊れと言われれば、ダンサーになったツモリで踊らされる。
恥ずかしがってウジウジしていると、成り切る事が出来ていないから恥ずかしいのだと責められる。
成り切れないから売れないのだと怒られる。
あなたのままでは売れないから、別の人間を演じなさいという完全なる人格否定。
こんなパワハラが横行する営業会社は、決して珍しくなかった。
実際、私もこんな感じの営業会社に勤めた経験がある。
こういったやり方が正しいも、間違っているも、全ては売上を作らないと、売れない人の言い訳になってしまう。
真面目な人の多くは、理不尽なパワハラに従い、心を削る作業をした。
真面目な人ほど、心が病み、心療内科のお世話になる。
でも、実際には、自分が心の病にかかっているという認識なんて無いから、病院に通わないけど心の病にかかっている人もたくさんいる。
心の病なんて表現をすると、すごく抽象的で、病気であって病気じゃないという受け止め方をされがちだけども、実際にはちゃんと科学的に数字で見える形で病気になっている。
例えば、脳に流れる血液量が正常な人間の数値と違ったり、脳の中で過去の記憶や感情などを思い出させる為に必要なシナプスと呼ばれるホルモンが異常値を示したりする。
それによって、不眠症になったり、喜怒哀楽自分の感情をコントロール出来ないなどの症状が発生する。
メンタルが弱い人の逃げ口上として病名が存在するわけでは無く、通常の人間とは違う各種の異常値が出ていて、それによって様々な症状が引き起こされるという事だ。
そして、その状態が長く続けば続くほど、治療にも時間がかかる。
だいぶ、前フリが長かったけども、私がフィリピンに来た理由が、一部この様な理由があったりするので書いてみた。
もちろん、コレだけが全てじゃない。
色々な理由が複合的に重なって、移住しようという決断に至っている。
フィリピンに遊びに来て、オンナをはらませてしまったので、責任取って結婚したんじゃないかとか、フィリピンパブにハマって本場に移住したんじゃないかと思われがちなのだけど、そうでは無くて私は日本から逃げてフィリピンにいる。
もちろん、すごい犯罪を犯して逃げて来たわけじゃない。
マンガやドラマだと、悪い事した人が高飛びする。
アメリカ人ならメキシコに逃げ、アジア人ならフィリピンという設定が多いけど、もちろん私はそんなんじゃない。
日本のストレスから逃げてきた。
おかげさまで、日本滞在時には数年間毎日発生していた蕁麻疹から、フィリピンに来て解放された。
クスリが無ければ眠れなかったのが、クスリが無くとも夜に寝て、朝早くに起きれる様になった。
日本よりも不衛生で、栄養バランスの悪い食事をするフィリピンで、日本よりもどんどん健康になっていく。
健全な精神は、健全な肉体に宿るというけど、心と体はバラバラじゃない。
心が疲弊すれば、身体にも何らかの症状が発生するし、逆に身体が不調なら心も不調になる。
空気の綺麗さや、栄養バランスや、清潔さなんかよりも、メンタル部分へのストレスが、大きく身体面の好不調に影響するという事を身をもって体感している。
私は、別に日本に適応出来ずに逃げ出した自分の恥部を晒したいわけではない。
聞かれてもいないのに、自分の心が弱った言い訳をしたい訳でも無い。
それでも、敢えて記しているのは、フィリピン人の気性が、私のメンタルに好影響を与えていると信じているからだ。
日本の企業は、人手不足を解消するという理由でフィリピン人の実習生を日本で働かせようと検討しているのだと思う。
だけども、その1人分の頭数となる労働力の他に、数字では表せない付加価値がフィリピン人にはある。
この付加価値は、デフォルトで多くのフィリピン人が持つポジティブシンキング。
能天気で明るく楽しい癒し系なのだ。
能天気という部分には、良くも悪くも、引っかかる部分がある人もいるだろう。
だけども、その部分は、日本の職場で働く以上、細やかさに定評のある日本人がワンサカいるはず。
フィリピン人の弱点は、日本人が補える。
それ以上にフィリピン人がいる事のプラスがある。
フィリピン人がいるだけで、職場の空気をパッと明るくしてくれる。
先述した、歌え! 踊れ! という部分が、日本人にとってはストレスでパワハラにさえなるわけだけども、フィリピン人は強要なんてしなくても、歌って踊ってくれる。
イヤな顔をするどころか、フィリピン人なら心から楽しめてしまう。
日本人とフィリピン人は、お互いの長所で短所を補強・補填・補完しあえるベストパートナーとも言える組み合わせなのだ。
もちろん、長所では無く、短所部分にフォーカスすれば、言葉がカタコトになった分だけ、労働者として廉価版と見られるかもしれない。
ただ、1人間の個性をトータルで見れば、日本人には無い強力でポジティブな明るい気性は、厳しい仕事環境ほどに、1人間の労働力プラスアルファを発揮してくれる。
ただ、安い労働力を求めるのであれば、タイやベトナムやカンボジアなど、たくさん仕入先はあるのだろう。
どこの国からの実習生でも良いと思っている企業には、あえてフィリピンを進めたいとは思わない。
そんな会社で実習生となったフィリピン人が可哀想だ。
ご存知の通り、フィリピンは世界中に人間を輸出している国。
アメリカに行っている者、ドバイに行っている者、カナダに行っている者、台湾に行っている者、世界中に家族が散らばっている家族だって珍しくはない。
そんな中、世界中で1番難しい言語と言われている日本語を習得してでも日本に行きたいと言ってくれるフィリピン人がいる。
まだ見ぬ国である日本に対して、行った事も無いのに世界で1番良い国だと信じているからだ。
それは、過去日本に行った事のある者が、フィリピンで日本の評判を高めてくれたからに他ならない。
日本人は、フィリピン人に無いモノを持っているから、フィリピン人は無条件に日本人をリスペクトしてくれる。
日本側も日本人に無い能力を持つフィリピン人に対して、リスペクトする気持ちやマナーを持って接してほしい。
フィリピン人は必ずや、1人前の労働力だけじゃなく、プラスアルファの能力を発揮してくれる。
フィリピン人に、そんな癒しのパワーがあるの?
と不思議に思う方もいるだろうが、日本人から見れば、超がつくほど人生をポジティブに楽しむマインドである彼等と一緒に生活したり、仕事すれば必ずや理解してもらえる。
私の様にフィリピンに移住するのは、誰もが出来る事じゃないけど、日本で生活して職場にフィリピン人が数人いる環境というのは、日本人にとって居心地の良い空間になる事は間違いない!